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【第18話】 薩埵峠で浮世絵の風景を完全再現!!

第18話は、桜えびの名産地 由比からスタート!

あの東海道中膝栗毛の主人公にも遭遇しちゃいました!
ランチではココでしか獲れない貴重な桜えびを堪能しゴキゲンなゆぴ!
しかし、待ち受けていたのは東海道の三大難所のひとつ「薩埵峠」
登ってみるとデッカイ駿河湾から伊豆半島の富士山を一望する絶景!
江戸時代、歌川広重が浮世絵に描いた風景がそのまま残されている貴重なスポットでした!
みなさんもぜひ行ってみてはいかがでしょうか?

由比本陣跡

江戸時代、由比宿には本陣が一軒のみ、その唯一の本陣がこの地にありました。当時の本陣の敷地をそのまま活用し、公園が整備されています。当時の面影を残しつつも、交流館や美術館といった施設もつくられています。同じ敷地には東海道由比宿交流館や東海道広重美術館などがあり、歴史文化を後世に残す取り組みがなされています。

由比でしか獲れない! 桜えび

駿河湾の名産として知られる桜えび。実は、全国でも由比漁港と大井川漁港でしか水揚げされない貴重な海産物です。春と秋の限られた期間に漁獲された桜えびは、生、釜揚げや、かき揚げなど、さまざまな料理で食べられます。

400年続く老舗染物屋 正雪紺屋

江戸時代初期からおよそ400年続いている染物屋です。藍甕や染物道具などが残されており、往時の仕事場の様子をうかがい知ることができます。現在はオーダー品の生産や、市販の手ぬぐいなどの販売をしています。また、「正雪」という屋号にもあるように、江戸時代前期に幕府の転覆計画を企てた軍学家 由比正雪の生家ともいわれています。裏庭の祠には正雪を祀った五輪塔があります。江戸時代から400年も続いているということは、龍馬もここの染物をおりょうへのお土産に買っていたかもしれないですね…

明治時代の旧郵便局舎

江戸時代、文書の配達は飛脚便によって行われており、飛脚屋と呼ばれていましたが、明治時代に郵便制度が創設されると、飛脚屋は郵便局となりました。そうして新しく郵便局長に選ばれた平野氏は、自宅の敷地内に洋風の局舎を新築して、郵便局を営業しました。この局舎は昭和初期まで使用されていました。

名主の館 小池邸

名主は村のなかで最も格の高い農家であると同時に、年貢の取り立てや戸籍の管理など事務能力と知識が求められる仕事を務めていました。小池邸はそのような重要な役職を務めた一族でした。小池邸の母屋は明治期に建てられましたが、正面の潜り戸付きの大戸、格子等、江戸時代の民家の面影をよく残しています。

日本庭園最古の技法 水琴窟

江戸時代中期の庭師が考案したとされている音響装置。地中に埋めた瓶の中で響く水滴の音が地上にかすかに漏れ聞こえてくるのを楽しみます。かすかな音ですので静かに耳を澄ませてみてください。備え付けの竹筒に・・・江戸時代の人は、こうして竹筒に耳を傾け、水滴の音を楽しんだのだそうです。

由比宿東海道あかりの博物館

ここ由比宿東海道あかりの博物館は、「たき火からかがり火へ、ローソクから電灯へ」をコンセプトにつくられました。1,000点以上の展示があり、“灯り”を通して江戸時代も含む日本の暮らしの移ろいを見ることができます。

間の宿 本陣跡

こちらは間の宿本陣跡です!間の宿というのは、今までの道中にもでてきたように、宿場と宿場の間にある簡易で小規模な宿場です。正式な宿場でないため、宿泊こそできないものの、食事や休憩ができる施設が集まっていました。由比宿と興津宿の間にある倉沢にもそのような間の宿がありました。

奇跡の逃亡劇! 望嶽亭 藤屋

薩埵峠の東にある望嶽亭 藤屋は、脇本陣や茶亭として文人や画家などで賑わいました。
明治元年には、勝海舟とともに江戸無血開城の立役者となった幕臣 山岡鉄舟が官軍に追われた際、ここ望嶽亭の蔵屋敷で漁師に変装し、隠し階段から脱走したという逸話が残されています。山岡鉄舟が去ったあとの藤屋には、当時最新式だったフランス製十連発のピストルが残されていたそう。

東海道随一の絶景 薩埵峠

薩埵峠は古来、様々な戦いの勝敗を分かつ重要な拠点でした。江戸時代になり東海道に定められましたが、当初は海へと突き出した断崖絶壁に沿った道でした。その後、迂回路として峠道が拓かれたのですが、いずれにせよ険しい道であることには変わりなく、東海道の三大難所のひとつとして恐れられました。現在のように安全に通れるようになったのは、江戸末期の大地震によって隆起が起きてからです。薩埵峠は難所であると同時に、絶景の地として歌川広重の『東海道五十三次 由比』にも残されています。また、東名高速道路の重要ポイントでもあるため、情報カメラが設置されています。