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【第20話】LOVE徳川家康!満腹グルメ旅!in府中宿

第20話は、家康公のお膝元である駿河国随一の宿場町 府中からスタート!

銀座のルーツや『東海道五十三次』の作者 十返舎一九の生誕の地など見どころたくさん!
江戸幕府の初代将軍 徳川家康の幼少時代 松平竹千代が過ごした駿府。
天下統一を果たしたのちに、この地に戻って大御所となりました。
家康公の大御所政治によって駿府は黄金時代を迎え、日本を動かしたのです。
現在も静岡県の中心都市として繁栄する駿府には、駿府城の城下にたくさんのスポットがありました!

府中宿

古くより駿河国の政治の中心であったことから“府中”と名づけられ、駿河国府中の略で駿府とも呼ばれました。駿府随一の規模を成す宿場町でしたが、徳川家康による大御所政治によって宿場は城下町の一角として一層繁栄しました。また、『東海道中膝栗毛』で有名な十返舎一九の生家や、浅間神社の門前にある商店街など、たくさんの見どころがあります。

家康の祖母が眠る寺 華陽院

家康が大御所政治を行った駿府城の南にある華陽院は、家康の祖母 源応尼(げんのうに)が眠るお寺です。今川家に仕えていた三河国 岡崎の松平家に生まれた家康は、幼少期、人質として駿河国に住まわされていました。そのときに、世話をしていたのが祖母の 源応尼でした。その後、源応尼の訃報を聞いた家康は、源応尼が住んでいた近所にある華陽院を墓所に定め、手厚く供養しました。

駿府城

三河国 岡崎に生まれ、駿府で育った徳川家康は、後年、天下統一を果たしたのち、ここに駿府城を築き、大御所政治を開始しました。江戸をもしのぐ政治、経済、文化の中心として黄金時代を迎えることになりました。

静岡浅間神社

神部神社・浅間神社・大歳御祖神社の三社を総称される静岡浅間神社は、古くより駿河国の総社として歴代将軍の崇敬を集めました。なかでも徳川幕府からの信仰は篤く、江戸時代には60年の歳月をかけて再建されました。総漆塗りの極彩色に輝く豪華な建築物は必見です。

作家 十返舎一九

駿河国府中に生まれた十返舎一九。江戸での武家奉公や大阪の町奉行に仕えるなどしていたものの、ほどなくして浪人となった彼は、自身の文才と絵心を活かして、執筆活動に励みました。そしてついに、37歳で出版した『東海道中膝栗毛』が大ヒットし一躍流行作家となりました。十返舎一九は作品執筆のみで生計を立てる“職業作家” の先駆者ともいわれています。

駿府銀座発祥の地

ゆぴ栗毛の第一話でもご紹介したように「東京・銀座」のルーツは駿府にあります。江戸時代の貨幣鋳造所-いわゆる“銀座”はかつて駿府に置かれていましたが、やがて江戸・京橋に移されたことで、現在の東京・銀座という地名が生まれたのです。

石部屋

安倍川橋のそばにお店を構える「石部屋」は、江戸時代後期に創業しました。餅にきな粉をまぶした安倍川餅は、江戸時代当時から街道名物として親しまれていたんだそう。一説によると徳川家康が「安倍川餅」と名付けたともいわれています。元祖 安倍川餅の「石部屋」、きっと龍馬も安倍川餅を食べたことでしょう…