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【第28話】妖怪・うなぎ・天女! 舞坂宿おもしろ~い!

第28話は、江戸情緒&リゾート気分にひたる舞坂宿の旅!

浜名湖の東に位置する、江戸から数えて30番目の宿場
舞坂宿は小規模ながら見どころ満載です!
700mにわたって370本の松並木が残る旧東海道松並木
六尺棒を構えた番人の見張り所・見付石垣
旧東海道で唯一残されている脇本陣の遺構・茗荷屋
今切の渡しの船着場・雁木…
江戸時代の面影を偲びつつ、キラキラと湖面輝く浜名湖へ
遠くに赤鳥居を眺めながら天女伝説で知られる弁天島に渡れば
そこは南国リゾートのような海浜公園が広がっていました!

浜松消防発祥之地

浜松市の消防業務は、大正14年に常設の消防組が設置されたことに始まります。
昭和24年10月には消防本部が開設され、浜松に近代的な消防組織が誕生しました。

「うな天」さんの関西風うなぎの蒲焼

浜松には数多くの鰻料理店がありますが、関東と関西のほぼ中央に位置するため、
東西それぞれの味を楽しむことができます。今回は「うな天」さんで、関西風の
うなぎの蒲焼をいただきました。関西風は、蒸さずに焼くので、脂がのって歯ご
たえがあります。蒸していないのに身がホクホクの美味しさでした!

旧東海道松並木

江戸幕府が1604年に街道の両側に黒松を植えさせたことが始まり。1712年には、
道の両側の堤に1,420本の松が植えられていました。現在も700mにわたって大小
370本の松並木が続いています。

浪小僧伝説

松並木公園に太鼓を叩いている浪小僧の像があります。浪小僧は、遠州七不思議
の一つ「浪小僧伝説」に登場する、海の底に住んでいる妖怪で、海が荒れる時や、
風が強くなる時は、海の中から太鼓を叩いて知らせてくれるのだとか。

見付石垣

見付は見張所のこと。大名が通行の際には、ここに6尺棒を持った番人が立ち、
人馬の出入りを監視し、治安の維持にあたりました。      

舞坂宿

江戸から数えて30番目の宿場。東海道の陸路は、ここ舞坂で一度途切れ、 旅人は
「今切の渡し」から舟で新居宿まで渡ることになります。渡船場があったため、
小さな宿にもかかわらず舞坂宿はたいへん賑わっていたそうです。

宝珠院

文化6年に起きた大きな火災によって、舞坂宿は復興に大変難儀しました。火防の
山、秋葉信仰が高まり、4年後、宝珠院に建立された常夜灯には、両皇太神宮、
秋葉大権現、津嶋牛頭天王の銘が刻まれています。明治6年、舞阪町に初めて
小学校が開かれたのも、この宝珠院の地だったそうです。

舞坂宿 脇本陣 茗荷屋

天保9年(1838年)に建設された、旧東海道では唯一の脇本陣の遺構です。今日、
当時をしのぶ町並みは失われてしまいましたが、この残された貴重な脇本陣を
後世に伝えようと、修復・復元されました。

岐佐神社

千年以上の歴史をもつ神社。明応地震の津波で舞坂の郷は人家と共に流されましたが、
現在地に「岐佐大明神」の神祠が漂着したことから、住民が社殿を建立し祀りました。
以来、岐佐神社は地域の氏神であり、水産・漁業の守り神として信仰を集めています。

那須田又七 顕彰碑

那須田又七は、江戸時代の舞坂宿の名主で、海苔養殖の基盤をつくった人物です。
飢饉の際には私費を投じて宿場の復興に尽力しました。その業績を後世に伝える
ため、安政5年(1858年)にこの顕彰碑が建立されました。

雁木跡

雁木とは、階段状になっている船着場のことを言いますが、舞坂では「がんげ」と
言っているそうです。舞坂宿には3ヶ所の雁木がありました。南の雁木は、荷物の
積み降ろしをした渡荷場。真ん中の本雁木は、旅人が一番多く利用した主要渡船場。
北雁木は、主に大名や幕府公用役人が利用しました。

辨天神社

1709年、舞坂宿と新居宿を結ぶ今切の渡しの渡海安全を願って建てられました。
天女伝説のこともあり、地元の人たちは今日までこの神社を大切にお守りしているそうです。

弁天島の天女伝説

昔、弁天島の辺りは、白砂青松の美しい風景が広がっていました。その美しさに誘われて、
ある日、天女が舞い降りてきました。村人はたいそう喜び、社を立てるからここに留まっ
てほしいとお願いしましたが、どういうわけか天女は、駿河の美保の松原へと立ち去って
しまったのだそうです。天女さま、何がお気に召さなくて行ってしまったの~?