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【第37話】桶狭間の戦い in 鳴海宿!

第37話は鳴海宿! 戦国から江戸へ時代をたどるロマン旅!

今回は池鯉鮒宿を後に、鳴海宿を目指して歩きます
三河国から尾張国へ進んでいくわけですが、歴史好きの方ならピンと来るはず
そう、三河から今川義元の軍勢が、織田信長の領地である尾張に進軍!
日本の歴史を動かす、あの有名な桶狭間の戦いが起こりました
今もなお語り継がれる合戦の舞台「史蹟・桶狭間古戦場」を訪ね
青毛にプチイメチェンしたゆぴが、どんどん東海道を進軍すると
やがて見えてきたのは江戸の風情漂う美しい有松地区
大都市の街道沿いとして初めて国の重要伝統的建造物群保存地区に
指定されました。伝統の有松絞り、当時の面影を残す町家…
とってもステキな町並みです!
戦国乱世を象徴する桶狭間から、江戸文化を垣間見る有松鳴海まで
まさに歴史をたどるロマンあふれる歩き旅! どうぞお楽しみください!

史蹟・桶狭間古戦場

桶狭間の戦いの舞台となった場所で、今川義元が戦死した伝説の地とされており、
墓碑やお地蔵様が建てられています。近くにある桶狭間古戦場公園には、戦の中心
地であったことから、合戦当時の様子がわかるように、城や砦を模したジオラマが
作られています。義元首洗いの泉や織田信長と今川義元の銅像などもあり、歴史好
きにはたまらないスポットです。

桶狭間の戦い

時は戦国時代、尾張国を治めるた織田信長と、駿河・遠江・三河の三国を治める今
川義元がこの地を舞台に合戦を繰り広げました。2万5千人もの大軍を率いた今川氏
ですが、数で劣る織田軍勢の奇襲によって制圧され、これを機に、今まで東海道を
押さえていた今川氏は没落の途をたどり、織田信長は尾張を完全統一して畿内へと
台頭していきました。 このとき、三河国・岡崎城へ逃れた松平家康(のちの徳川
家康)は独立を果たしたのち、信長と同盟を組むことになります。

有松山車会館

有松には毎年6月と10月に地域で愛されているお祭りがあります。6月は美しい
有松鳴海絞りが町を彩る「有松絞りまつり」。10月は地域の人々が災厄防除を願い
豪華な山車をひいて巡行する「有松山車まつり」。どちらも素敵なお祭りですが、
近年は新型コロナウィルスの影響で中止になっています。また開催される日が待ち
遠しいですね。

有松・鳴海絞会館

有松鳴海絞に関する道具や貴重な歴史資料を展示するほか、体験教室や有松鳴海
絞を使った商品の販売など、その文化や伝統をじっくり味わうことができます。

有松と染め絞り

江戸時代初め、有松地域はさながら荒地のようでした。そこで尾張藩は東海道筋
にあった有松に集落をつくるため、知多郡阿久比町から竹田庄九郎ら8人を呼び
寄せました。しだいに集落が形成され、茶屋が軒を連ねるようになるも、鳴海宿
に近い有松では間の宿としての発展は望めませんでした。そこで彼らは有松絞り
を土産品として街道を行き交う旅人に売るようになり、これが一躍有名になった
のです。

竹田庄九郎の碑

竹田庄九郎は有松鳴海絞の元祖とされ、農作地の少ない有松の新たな産業として
有松絞りを考え出しました。東海道を行き交う旅人が土産物として買うようになり、
街道一の名産品となりました。鳴海を表す浮世絵の多くに有松絞りが描かれ、当時
の人気やその伝統が今も続いていることがよくわかります。

旧東海道有松の街並み

○愛知県の指定文化財となっている服部家住宅。江戸末期の建造物で立派な屋敷と
ともに樹齢370年とも言われているクロガネモチがあります。
○国登録有形文化財の中濱家住宅。明治期に建てられ、もともと絞り問屋・山田家
の建物でした。平成に入り、中濱家が絞り販売の店舗と住宅を兼ねて購入し現在に
至っています。
○竹田嘉兵衛商店。江戸時代から400年余りにわたって絞り問屋を営んできました。
幕末には新選組や勝海舟、徳川慶喜も訪れたんだそう。現代でも世界のファッション
デザイナーの注目を集めています。
○岡家住宅です。こちらも絞り商を営んでいました。主屋は有松でも最大級の規模
を誇り、改造も少なく、江戸時代末期の重厚な建築形態が残されています。

鳴海宿

東海道40番目の宿場。東西に常夜燈が残っており、宿場町が1.5kmにわたっていた
ことがわかります。かつては鳴海城があり、桶狭間の戦いの舞台にもなりました。
寺が多い街としても知られており、わらべ歌「鳴海寺詣り歌」では16の寺社が数え
られています。