【第38話】愛知旅のフィナーレを飾る東海道最大の宿場町!
第38話は宮宿! 熱田神宮で身を清め、七里の渡しを泳ぐ!?
豊橋市の二川宿から始まった愛知県を横断する歩き旅も
早いもので今回の宮宿でフィナーレを迎えます!
天候にも恵まれ(ゆぴが大好きな、歩きやすい曇り空!)
鳴海宿から宮宿をめざしてレッツゴー!
まず向かうのは鳴海絞発祥の地。江戸時代に生まれ、国の伝統工芸品に
指定されている絞りの技が誕生した場所です。ワクワク~!
鳴海城の天守閣から見えたであろう景色が楽しめる珍しい城址公園や
すえひろがりの立派な一里塚に感動しながら宮宿に突入!
幕府や尾張藩の公文書で「熱田宿」と書かれているように
宿場のシンボルは何と言っても熱田神宮!
参道を歩くだけで、身が清められるようでした
伊勢神宮に継ぐ国家鎮護の神社で参拝を済ませ
いよいよ愛知県最後のスポット、七里の渡し跡へ!
宮宿と次の桑名宿とを結ぶ東海道唯一の海路を前に
「ここから先は泳いで行きたいと思います」って、ゆぴ、ホント!?
鳴海絞発祥の地碑
鳴海絞りの発祥は、豊後国藩主の侍医であった三浦玄忠の妻が、この地で豊後絞りの
技法を伝授したことに始まったと言われています。それが約400年も伝承されている
とはすごいですね!
鳴海城址 記念碑
鳴海城は桶狭間の戦いの舞台にもなった城。今川義元が討たれた後も、ここにいた
岡部元信は最後まで奮戦したんだそうです。
鳴海城跡公園
鳴海城のあった場所です。園内にある高台の頂上からは、まるで天守閣に登ったか
のように、鳴海の町並みを眺めることができます。
丹下町の常夜灯
常夜灯の裏手に、織田信長が今川氏に対抗して築いた砦のひとつ丹下砦があったよ
うです。桶狭間合戦の際にも、丹下砦を経由して進軍したそうです。
徳川家康人質交換記念碑
織田氏の人質になっていた幼い家康、松平竹千代と今川氏に囚われていた信長の兄
織田信広の人質交換が行われた場所。今は石碑が置かれています。
帯刀屋敷跡
長楽寺には、かつて織田信長に仕えた武将・水野帯刀の屋敷がありました。水野帯
刀は桶狭間の戦いで今川勢から丹下砦を守り抜いた人物とされています。
宮宿
東海道五十三次の41番目にあたる宮宿は、宮の宿、熱田宿とも呼ばれ、東海道でも
最大規模を誇る宿場でした。伊勢湾を望む港町であると同時に熱田神宮の門前町、
さらに名古屋城の城下町であったことから、その繁栄ぶりを伺うことができます。
旧東海道 道標
ここは当時、東に東海道、北に中山道垂井(たるい)宿とつながる美濃路の分岐点
でした。現在は本来の位置と少し違う場所に移っていますが、1790年に建てられた
実物で、当時の雰囲気を感じることができます。
熱田神宮
全国に10万社あると言わる神社のうち、“神宮”と呼ばれるのは24社のみ。皇室にゆ
かりが深く格式の高い神社にだけに与えられた特別な称号です。
熱田神宮は、名古屋市南部の熱田台地に鎮座し、かつては伊勢湾を望む岬にあった
と言われています。三種の神器の一つである草薙剣をご神体に祀り、伊勢神宮に次
ぐ格を誇ります。中世以降、武士たちからも信仰されるようになり、特に織田信長
は今川義元を討ち取った桶狭間の戦いの前に戦勝祈願に訪れました。戦勝のお礼に
奉納された信長塀とよばれる塀が今も境内に残されています。
西浜御殿跡
西浜御殿は尾張藩の二代藩主・徳川光友が造営したもので、1,000坪を超える広さ
だったそうです。東浜御殿という御殿もあったようで、浮世絵『熱田の浜』にも
その一部が描かれています。
七里の渡し跡
七里の渡しは、東海道五十三次の宮宿と桑名宿を結ぶ街道唯一の海路です。渡し
船の航路は満潮時に約七里、干潮時には沖を廻り約十里と長く、渡りきるのには
4時間ほどかかり、海難事故が多発する最大難所でした。現在は伊勢湾岸自動車
道が当時の航路をなぞるように通っています。