【第45話】土山宿は歴史の先生がいっぱい!
第45話は、土山宿! 峠の先にステキな出会いがー!
箱根を歩いていたころは、鈴鹿なんてはるか彼方で
とてもたどり着けないと思っていました
が、しかし! とうとう鈴鹿の峠までやって来ましたよー!
江戸時代は箱根峠に肩を並べる西の難所として恐れられていた峠
ですが、あらっ? あっと言う間に登り切ってしまいました…
これも東海道歩き旅で鍛えられた証でしょうか?!
峠を越えた先は滋賀県、近江国。そこに待っていたのは
土山宿をこよなく愛する方々とのステキな出会いでした!
江戸時代のままの姿を今にとどめる貴重な建物や資料の数々
東海道ウォーカーはもちろん、歴史に興味のある方なら
必見のお宝映像が満載です! 永久保存版・土山宿の巻
はじまり、はじまり~!
鈴鹿峠
「東の箱根峠、西の鈴鹿峠」といわれた東海道の難所。標高は378mと、箱根峠(846m)に比べると
遙かに低いのですが、坂道の険しさ、気象変化の激しさ、さらには追いはぎなどの盗賊も出没する
という、いろんな意味で危険な峠だったそうです。
馬子唄公園
鈴鹿馬子歌は、馬子たちが馬をひきながら鈴鹿峠を越えるときに唄われました。「坂は照る照る
鈴鹿はくもる あいの土山 雨が降る」 鈴鹿の天気は変わりやすく、坂下では晴れていたのに
峠では曇って、土山に降りてきたら雨、という意味だそうです。
田村神社
平安時代初期、征夷大将軍・坂上田村麻呂をご祭神として創建されたと伝えられています。
鈴鹿峠で人々を苦しめていた鬼を、田村麻呂が退治した、という伝説から「厄よけの神様」
として知られ
ています。
土山宿
江戸から数えて49番目の宿場町。宿駅制度が制定される前から伊勢参道、多賀大社参道として
賑わっていました。馬子唄で唄われていたように土山宿は雨がよく降る土地で、広重をはじめ
多くの浮世絵氏によって雨降りの情景が描かれています。
民芸・茶房うかい屋
第6話で訪問した保土谷の宿場そば「桑名屋」さんのご主人にご紹介していただいたお店です。
地元の陶芸作家の器や民芸品が展示・販売されており、奥のカフェでは、ぜんざい抹茶、夕霧
そばなどが楽しめます。築200年の両替商の旧家を改装した建物は建築当時のままという貴重な
お店です。うかい屋さんご主人は「土山の町並みを愛する会」という町を保存するボランティア
活動でご活躍されていました。その活動は今年で終了してしまいましたが、これからもうかい屋
さんを訪ねれば、江戸時代の東海道の旅や土山宿の歴史などを教えていただけます。拝見した江
戸時代の旅の案内書や紀行文に「土山宿のそば」が名物として紹介されていました。わたしも当
時の旅人と同じように、土山宿のそばを頂きました!
土山宿 土山家本陣跡
1634年、徳川3代目将軍・家光が京都上洛の際に設けられ、今なお当時の姿を色濃く残す貴重な
建造物です。大名が宿泊した上段の間や庭園、道具や宿帳などが当時のまま保存されています。
宿帳には、勝海舟、篤姫、遠山金四郎・・・誰もが知る人名が連なっています。明治元年には、
明治天皇がここで誕生日を迎えられました。その際に「第一回 天長節」が開かれ、土山の人々
に御神酒などがふるまわれたそう。将軍家光や明治天皇が泊まった本陣が今もこうして残って
いるなんてスゴイですよね。当主は現在も世襲されていて、今のご当主は13代目だそうです。
東海道伝馬館
江戸後期に建てられた庄屋の屋敷を改装し、土山宿をはじめ街道の文化について紹介していま
す。五十三次の浮世絵を立体的に見られるなんて、東海道ウォーカーにはたまらない施設です!
うっかり見逃してしまった展示物も、施設の方が詳しく案内してくださいました。一体一体、
細部までこだわって作られた京人形の参勤交代は圧巻です!