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【第47話】宿場の里に田楽豆腐! 江戸時代をガチ体験 in 石部宿

第47話は、石部宿! 現代によみがえった宿場町を散策!

かつて北脇縄手とよばれた真っ直ぐのびる東海道を歩いてゆくと
たて続けに3つの大きなスポットに遭遇しました!
まずは柏木公民館の鐘楼モニュメント。梯子を上る人が超リアル(笑)
続いて東海道随一の大きさを誇る横田渡の常夜灯は
渡し場のランドマーク! 対岸からも良く見えたことでしょう
さらに進むと、これまた大きな慰霊碑が! 江戸時代に起きた一揆のなかで
唯一農民が勝った天保一揆で、村を救って犠牲になった人たちを供養しています
歩き旅はいろいろな発見にあふれていますが、今回は学校で習った
天井川を見つけました! 東海道の上を川が流れているなんて不思議~!
石部宿は、京から江戸へ向かう旅人が最初に泊まった宿場町
ってことは! ゴールの京都までたった一日の距離まで近づいたんですね!
歴史民俗資料館に再現されたリアルな旅籠や茶屋を見てまわり
歌川広重も描いた田楽茶屋で名物の田楽豆腐を頬張れば
気分はもう江戸時代の旅人! 五感をフル回転させて
往時の石部宿の雰囲気をた~ぷり楽しみました!

北脇縄手と松並木の碑

真っ直ぐのびる東海道は、かつて北脇縄手とよばれる田んぼ道でした。江戸時代の東海道整備に伴い、
曲がりくねった旧伊勢大路を改修し、見通しの良い現在の道になりました。松並木もあったそうです
が、現在は残っていません。

鐘楼のモニュメント (歌川広重の辞世の句)

柏木公民館に「鐘楼のモニュメント」を見つけました。歌川広重の「水口宿」の絵と、裏面には広重
の辞世の句が書かれています。(現在は消えてしまいましたが…)
広重辞世の句
「東路に 筆を残して 旅の空 西の御国の 名所を見舞」
江戸に絵筆を置いて、死後は冥土の名所巡りをしたいと願う、いかにも広重らしい辞世の句ですね。

東海道 横田渡常夜燈

野洲川のこの辺りは、かつて横田川と呼ばれ、江戸時代の参勤交代などで通行量が増加すると、渡し
船や渡し賃の制度が整えられました。往時は夜も通行が絶えず、対岸の渡し場の目印として文政5年
(1822年) にこの常夜灯が建てられました。高さ10.5メートル、東海道随一の大きさを誇っています。

天保義民之碑

幕末の頃、立て続けに大飢饉に見舞われた幕府は、財政難を解消するために不正な検地を行い、年貢
の取り立てを強行しました。これに抗議するため、約4万人の農民が蜂起し、歴史に有名な天保一揆
が起こります。結果は、検地が中止になり、農民たちは幕府が派遣した役人から十万日の日延べを勝
ち取りました。しかし、一揆のリーダーとなった農民11人は江戸送りとなり、反乱の罪で処刑されて
しまいます。江戸時代、全国で数多くの百姓一揆が起こりましたが、唯一成功したのが、ここ野洲川
の天保一揆でした。村を救って犠牲になった農民たちの魂をなぐさめ、義民として永久に伝えるため
に、明治31年にこの慰霊碑が立てられました。

大沙川隧道

天井川とは、上流から流されてくる土砂が堆積し、川底がまわりの地面よりも高くなってしまった川
のこと。天井川は全国にいくつもありますが、この大沙川隧道は、建設当初の位置で現存する、現役
の石造道路隧道として、日本最古のものです。

石部宿

江戸から数えて51番目の宿場町。京から江戸へ向かう旅人が最初に泊まった宿場で「京立ち石部泊り
」と言われていました。伊勢参宮街道との分岐点でもあり、街道には本陣2軒、旅籠32軒が建ち並び、
多くの旅人で賑わっていました。

東海道 石部宿 歴史民俗資料館

昭和60(1985)年、街道文化を今に伝えることを目的につくられた石部宿 歴史民俗資料館。敷地内
には、石部宿の往時の姿を再現した「石部宿場の里」と、小島本陣に残されていた関札や宿帳を展示
している「東海道 歴史資料館」があります。資料館でわかったのですが新選組の近藤勇や大政奉還
で有名な徳川慶喜、明治天皇は石部宿の本陣に泊まられたそうです!

石部宿 田楽茶屋

歌川広重の石部宿に描かれた田楽茶屋を再現した建物だそうです。茶屋おすすめの田楽豆腐は、ほど
よい弾力がある豆腐に特製の味噌をつけて焼いている江戸時代からの名物料理。美味しかったです。
ぜひ皆さんも食べてみてください!