【第30話】江戸時代にタイムリープ!?
第30話は、二川宿~吉田宿。愛知編スタート!
今回から愛知編、三河の旅が始まります!
最初の宿場は二川宿。なんとここは本陣・旅籠屋・商家を
一つの宿場で見学できる日本で唯一の贅沢スポット!
どの施設も江戸時代の面影そのままに復元されており
屋内を歩けば襖の向こうから大名御一行や商人たちの
息吹が聞こえてくるようです
もちろん、見学とお勉強だけで終わるゆぴではありません
本陣資料館では、駒まわしや浮世絵版画をエンジョイ
駕籠にも乗っちゃいます! はたして乗り心地やいかに!?
吉田宿まで足を延ばす愛知編ゆぴ栗毛、ただいま開演~!
二川宿
江戸から数えて33番目の二川宿は、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠38軒と
比較的小さい宿場でした。現在でも2ヶ所の桝形とともに当時の町割がほぼ
残っており、本陣、旅籠屋、商家の3か所を見学できる日本で唯一の宿場町
です。
妙泉寺
地元では「紫陽花塚」と呼ばれて親しまれている日蓮宗の寺院です。境内には
松尾芭蕉が元禄7年(1694年)に詠んだ句「阿ちさい(紫陽花)や 藪を小庭の
別座敷 」の碑があります。
二川八幡神社
創立は、永仁3年(1295年) 鎌倉の鶴岡八幡宮から勧請したと伝えられてい
ます。普通、神社の狛犬は左右が向かい合っていますが、ここの狛犬は正面
を向いています。珍しいですね!
境内には秋葉山常夜灯があり、その傍には、榊を植樹した際に桜の杭を使用
したところ、その杭から芽生えて育ったという「逆桜」 の木があります。
商家 駒屋
二川宿で米穀商や質屋を営むかたわら、宿村役人を勤めた田村家の遺構です。
江戸末期につくられた建物で、豊橋市指定有形文化財となっています。
二川宿 馬場本陣
文化4年(1807年)から明治3年(1870年)まで本陣職を勤めた馬場家の遺構で、
馬場家の寄贈を受けた豊橋市が3年をかけて改修工事を行いました。大名の
休憩場所だった上段の間をはじめ、本陣の全容を見学することができます。
旅籠屋 清明屋
本陣の隣にあったので、大名行列が本陣に宿泊する際には家老など上級武士の
宿泊所としても利用されていました。現在の建物は改修工事によって復元され、
主屋や奥座敷など、江戸時代の姿が現代によみがえっています。
二川宿本陣資料館
江戸時代の交通に関する資料や、二川地区の歴史・文化に関する資料を収蔵、
展示しています。定期的にさまざまな企画展も開催しているそうです。
2階の常設展では、当時の旅人の装いがわかるディスプレイや東海道や宿場の
ジオラマなども展示しており、旅をテーマとして、二川宿の町並みを楽しむ
ことができます。
吉田宿
江戸から数えて34番目の宿場町。戦国時代の土豪・牧野氏が吉田城を築いて
以来、城下町として発展しました。また、田原街道や別所街道とつながる交通
の要所として、さらには、吉田の港からお伊勢参りの船旅にでるなど、港町と
しても大いに賑わっていました。
曲尺手門跡の碑
曲尺手(かねんて)とは、直角やS字に曲がった道のこと。道を曲げてつくる
には理由があります。
(1)敵を側面攻撃するため
曲がった先に門や障害物を配置しておけば、敵が突破しようとしている間に
横から攻撃できます。
(2)大名行列同士が合わないため
格式の違う大名がすれ違うときは、格式の低い大名が駕籠から降りて挨拶する
しきたりがありました。しかし、主君を駕籠から降ろすことは、家来にとって
一番の失態です。そこで、斥候(せっこう)を行列が見えない曲尺手の先に出
して、行列がかち合いそうなら休憩を装い、最寄りのお寺に非難することで、
格上の大名行列と鉢合わせることを避けました。