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【第1話】龍馬ゆかりの地赤坂から京都へ徒歩で行く?!

東海道五十三次とは?

江戸時代に整備された五街道の一つ、東海道にある53の宿場を指す。また江戸日本橋を起点に、京都までの東海道の道のり全域を指す場合もある。この企画では、栗毛のゆぴが、東海道五十三次を、徒歩で踏破することに挑戦。はてさて、どんな旅路が待っていることやら…

旅のスタート地点 日本橋

現在の東京都中央区にある日本橋は、江戸時代に五街道の起点と定められ、明治時代には、全国の国道の起点となって、今日に至っています。日本橋周辺は、古くから商業や金融の中心として栄えましたが、現在でも企業本社や高級百貨店が立ち並ぶ一大スポットとして賑わいを見せています。

坂本龍馬が修行した 桶町千葉道場

ここ京橋付近には、北辰一刀流の桶町千葉道場があったそうです。坂本龍馬が、初めて生まれ育った土佐を出て、剣術修行に来たところです。その時に坂本龍馬が寄宿していたとも言われる土佐藩上屋敷もこの近くにあるので行ってみました。坂本龍馬はここにあった土佐藩上屋敷で寝泊まりしつつ、日々剣術修行に励んでいたことでしょう。

坂本龍馬の下宿先 土佐藩上屋敷

幕末の英傑 坂本龍馬は、1853年と1856年の二度にわたり、土佐藩より江戸遊学を許され、土佐藩上屋敷や中屋敷に寄宿しながら、近くの桶町千葉道場にて剣術修行に励んだという。その間、ペリーの浦賀来航に端を発する尊王攘夷の機運が高まり、龍馬も土佐勤皇党の首魁 武市半平太らと交わり、尊王攘夷へと傾倒していくのである。明治維新の息吹の一端は、この地より始まったともいえよう。

赤坂と坂本龍馬

時は江戸時代、土佐藩を脱藩した坂本龍馬は、赤坂に居を構える幕臣・勝海舟を訪れた。勝に心酔した龍馬は、その場で弟子入りすることを志願したと伝えられており、勝海舟と出会った地 赤坂は、まさに坂本龍馬の活躍の第一歩になった場所ともいえよう。この龍馬ゆかりの場所から、かつて日本の大動脈を支えた東海道を歩き京都へ徒歩で目指す旅。激動の時代に大きな夢を抱きながら奔走した坂本龍馬にあやかって、当時の龍馬と同年代の若手社員は、この企画への挑戦を決めたのである。

江戸から続く伝統品 白木屋伝兵衛

1830年から続く、江戸箒の老舗。かつてこの地にあった京橋川両岸は、竹屋が立ち並ぶ竹河岸として賑わったとか。この辺りは、それだけ竹柄やホウキモロコシといった原材料が入手しやすかったそうです。自然の恵みを原材料にしたエコロジカルでシンプルなデザインの江戸帚は、実用性を兼ね備えた民芸品として、ここ京橋の地での販売を脈々と続けています。

〇〇発祥のレストラン?! 銀座煉瓦亭

明治25年から続く老舗洋食レストラン。オムライスやトンカツ、ハヤシライス発祥の店と言われているとか。どの料理も絶品でした!

高級商業地 銀座

日本を代表する高級商業地として、多くのブランド店や高級店が立ち並んでいます。日本全国にも、この地名を冠した○○銀座という繁華街が点在するほどのブランド性があるのです。地名の由来は、かつて徳川家康が大御所政治を行った、駿府、現在の静岡県にあった銀の鋳造所、いわゆる銀座を、この地に移したことによるそうです。

新スポットに潜入! ヤマハ銀座ビル

国内最大級の総合楽器店である「ヤマハ銀座店」が、2020年10月23日にリニューアルオープン。ブランド体験エリアが新設されました。1階はイベントスペースとカフェスタンド、2階はカフェラウンジになっています。注目すべきは、カフェラウンジのリアルサウンドビューイング!アコースティック楽器の自動演奏は、まるで本物の生演奏を体感しているようでした。一番楽しかったのは、カフェスタンドのミュージックテーブル。テーブルに映し出されたプロジェクションマッピングがドリンクのカップに反応して音を奏でます。

一里塚ってなに?

旅行者の目印として、かつて一里(=約4キロ)ごとに設置された塚、土盛り。徳川家康の時代に、全国の街道沿いに設置されました。現在でも全国各所で史跡として一里塚の跡が確認できます。

坂本龍馬が目指した未来

大政奉還をお膳立てした坂本龍馬は、徳川家が政権を返上し、天皇中心の世になった後にも、政治の中心に徳川家が残る新たな政治の体制を考えていたが、大政奉還後間もなく志半ばで龍馬が暗殺されると、その構想も消滅、新政府軍と幕府軍は戊辰戦争へと突入することになった。一方で当の徳川家当主慶喜は、次第に恭順の意向を強くし、ついには恭順派を中心にした徳川家人事を断行し、自身は謹慎恭順の姿勢を取った。新政府軍側でも、徳川討伐の強行派と穏健派がいたが、遂には新政府西郷隆盛らと、徳川方勝海舟らが会談し、徳川宗家の徹底恭順と、居城江戸城を無抵抗で明け渡す、いわゆる江戸城無血開城に合意。これにより世界でも類を見ない、無血革命が成就したと言われる。

江戸のゲートウェイ?! 高輪大木戸

大木戸とは、江戸時代、街道上の江戸内外の境界に設置された簡易関所であり、大きな木戸が設置されていたそうです。高輪大木戸は東海道における江戸の玄関口的な役割を果たしていたとか。現在も当時の石垣が残されています。

赤穂浪士の眠る寺 泉岳寺

赤穂浪士で有名な浅野内匠頭や赤穂義士達が葬られている寺院。義士祭や赤穂浪士記念館などがあり、多くの参拝客が訪れるようです。

宿場とは?

東海道の拠点となった53の宿場。各宿場には、文字通り旅人を宿屋に泊めたり、休ませたりするという役割があったが、最も重要な役割は、隣の宿場から運ばれてきた公用の荷物や通信物を次の宿場まで運ぶという業務であったとか。そのため宿場は、本陣、脇本陣、旅籠などの宿泊施設と、継ぎ送り業務を行う問屋場が中心となっている。参勤交代の時の大名行列御一行を受け入れる役割も重要であった。江戸時代初期は、農村とさほど変わらなかったようだが、交通量の増大や商品流通の活発化に伴い、商人、職人など定住するものも増え、接客空間を持つ町屋が現れるなど、都市的な様相を呈するようなった。

東海道第一の宿場 品川宿

東海道の第一宿場。中世以来の港町として栄えていた品川湊の近くに設置され、北宿、南宿、新宿に分かれていたそうです。現在の京急線、北品川駅から青物横丁駅周辺までの旧東海道沿い一帯に広がっていました。目黒川を境に、それより北が宿、南が南品川宿、北品川より北にあった宿を新宿と呼んだそうです。