【第19話】興津~江尻で有名?珍!?スポット続々発見!
第19話は、偉人に愛された町 興津からスタート!
西園寺公望に井上馨…興津も偉人に愛された別荘地でした。
今でも珍神社や逸話が残る不思議な橋など
ちょっと変わったスポットが!
そしてなんといっても、江尻宿のある静岡市清水区は
ちびまる子ちゃんの地元作者 さくらももこさんが生まれ育った町!
(ちびまる子ちゃんランドにも行きたかったな~)
興津宿
江戸から数えて17番目の宿場町 興津宿は、徳川家ゆかりの寺院があり、明治以降の政治家の別荘地としても有名でした。古く平安時代から身延道との分岐点である清見ヶ関という関所が設けられていた重要な地でした。
興津宿 東本陣跡
こちらは興津宿東本陣跡です。二つあった本陣のうち東側の市川本陣は、興津宿の大火事の際に、宿場の人々に300両、今でいうとおよそ6,000万円という大金を無利息で融通しただそう。なんて慈悲深いのでしょうか…
興津宿 脇本陣水口屋
江戸時代は脇本陣であった水口屋でしたが、明治時代には上流階級がバカンスで訪れた海水浴の宿として利用されるようになり、やがては宮家や西園寺公望や伊藤博文など、政財界の大物らも宿泊したのだそうです。さらに、外国人の間でも有名になりましたが、昭和60年には約400年続いた旅館の歴史に幕を下ろしました。
巨鼇山 清見興国禅寺
東海道屈指の名刹である清見興国禅寺は、奈良時代の創建以来、様々な武将の信仰を集めてきました。あの徳川家康も、幼い頃この寺の住職に師事し手習いを受けたそう。後年、家康の趣向のもとに作られた庭園は、国の名勝に指定されるほどの美しさです。駿河湾を望む風光明媚な高台にあったこともあり、明治時代の文豪・夏目漱石や島崎藤村らも訪れたといいます。
興津坐漁荘
総理大臣をはじめ数々の大臣を歴任した西園寺公望が、政界から引退した際に建てた別荘です。かねてから、旅館 水口屋へ足繁く訪れ、冬の寒さが穏やかな興津を気に入ったのだそう。旧東海道沿いに建てた別荘には数々の政府要人が訪れ、談義を交わしましたが、老朽化のため取り壊されました。当時の建物を再現した木造2階建ての京風数寄屋造りは、国の重要文化財に指定されています。
西園寺公望
公家である徳大寺家の次男として、山城国京都に生まれる。明治期の国会の創成期において、自由主義を貫き近代の政治の礎を築いた人物。内閣総理大臣を2度務めた後も、元老として昭和時代まで政界に大きな影響を与えた。
井上馨
長州藩に生まれた井上馨。当初は過激な尊王攘夷派であったが、イギリスへ密航した後に開国派へと一変する。長崎において坂本龍馬の仲介で小松帯刀と出会い、薩摩藩名義でグラバー商会から武器を購入して、第二次長州征討に備えるなど、薩長同盟の締結にも奔走。明治維新後は政界において様々な役職を歴任し、元老としても国政に参加した。
世界文化遺産 ―三保松原
静岡市清水区の海岸沿い、およそ5kmにわたる松原。その美しさから日本新三景、日本三大松原とも称されています。緑の松原越しに望む富士山は、駿河湾の青さ、打ち寄せる白波と相まって、まさに壮観といえます。歌川広重の浮世絵にも描かれており、2013年には富士山などとともに世界文化遺産に登録されました。
江尻宿
古くから栄える清水港に隣接した江尻は、物資の輸送拠点として賑わっていましたが、戦国時代の英傑 武田信玄によって江尻城が築かれたことで城下町となり、さらに繁栄しました。江戸時代には東海道が整備されると、駿河国で府中に次ぐ2番目の規模を成す宿場となりました。
魚町稲荷神社
戦国時代末期、武田信玄は駿河侵攻の前線にあった江尻に城を築きました。その数年後、城の管理を託された城将によって大改築され、本格的な江尻城となりました。その際、江尻城の鎮守神(として社殿を造営したのが、魚町稲荷神社の始まりとされています。
清水 次郎長
幕末の侠客清水次郎長は「海道一の大親分」として小説や時代劇でおなじみですよね。
大政、小政、森の石松といった屈強な子分を率いて敵対勢力と抗争を繰り広げるなど血生臭い話も多いのですが、晩年の次郎長は、私財を投じて富士の裾野の開墾や船会社の創設に尽力したり、外国との貿易交渉のために英語塾を開設するなど、実業家として活躍しました。
明治26年に永眠した次郎長は、ここ梅蔭禅寺に葬られ、侠客としては全国で唯一、銅像も建てられています。すぐ近くには、次郎長が生まれた生家が、居間など当時のままに保存されています。