【第48話】必見!薬の商家&本陣のお宝映像! in 草津宿
第48話は、草津宿! 急がば回れ! 瀬田の唐橋まで全力踏破!
今回も盛沢山! 貴重な史蹟をたくさん見てまわりますよ!
まずは、徳川家康が名付けた薬の商家・旧和中散本舗
建物は国の重要文化財、庭園は国の指定名勝! 当時の製薬機や
明治天皇がご使用した遺品など、貴重な文化財をたっぷり拝見しました!
東海道と中山道が合流する交通の要衝だった草津宿では
旧東海道に現存する2軒の本陣のひとつ草津宿本陣を探訪
こちらも国指定の史跡だけあって、歴史の重みをズッシリ体感!
近道の航路を行くか、遠回りだけど確実な瀬田橋まわりで行くか…
草津宿のはずれに「急がば回れ」の語源になった場所がありました
ここで、当時の旅人にならって、ゆぴも名物の“うばがもち”を堪能!
武運来運の神として信仰を集めてきた建部大社に参拝したあとは
紫式部が源氏物語を書き始めた場所と言われる石山寺へ
じつに千年以上もの長きにわたり人々を惹きつけてきた景勝地です
紅葉に染まる古寺、その美しい景色に魅了されてしまいました!
ラストは、瀬田の唐橋。「唐橋を制する者は、天下を制す」と言われた
日本三大橋のひとつ。この先に、いよいよ53番目の宿場・大津が!
ゆぴが五十三次すべての宿場を制する時が近づいてきました!
旧和中散本舗 大⻆家住宅
東海道の旅のお供として欠かせないお薬。いつケガや病気に襲われないかと不安な旅人にとって、
薬を持ち歩くことは「旅のお守り」とも言えます。大角家は和中散 (わちゅうさん)という漢方薬
を売って栄えるとともに、大名などの休息所も務めた商家です。徳川家康が腹痛を起こしたとき、
大角家の薬を飲んだところ、たちまち治ったことから家康が直々に和中散と命名、その名は一躍
東海道に知れ渡りました。現当主の大角さんと栗東市観光協会の山口さんのご案内で、当時のま
まの旧家を隅々まで見学させていただきました。歯車の付いた製薬用の石臼は、全国でもここで
しか見られない貴重な歴史遺産! 屋内は至るところに装飾や工夫が施されていて見ごたえ十分!
国の名勝に指定されている庭園も見事です。庭の奥には芝山を設け、手前には日向山が望まれ、
東海道旅の一場面を切り取ったような庭になっています。見る場所によってまた違った味わいを
感じられるのだとか…。他にも、普段は立ち入れない部屋やお写真など、たくさんの資料を見せて
いただきました。大角さん、山口さん、素晴らしい体験をありがとうございました!
草津宿
江戸から数えて52番目の宿場町。東海道と中山道が合流する交通の要衝で、草津宿は人と物が
行き交う賑やかな宿場だったそう。歌川広重の浮世絵にも忙しそうな駕籠かきと名物の「うば
がもちや」で旅人が一服している様子が活き活きと描かれています。
草津宿本陣
草津宿本陣は、当主の田中七左衛門が寛永12年に本陣職を拝命したとされ、明治3年に本陣が
廃止となるまで、代々本陣職を勤めてきました。大福帳、いわゆる宿帳には忠臣蔵の吉良上野
介、浅野内匠頭、新撰組の土方歳三、シーボルトなど、多くの著名な人物の名前が残されてい
ます。旧東海道で本陣が現存するのは、二川宿馬場本陣と草津宿本陣の2軒だけ。当時の姿を
そのまま留めているこの建物は、国の史跡に指定されています。
矢倉道標
江戸時代は草津宿の西のはずれに名物の「うばがもち」を売るお店があったそうです。今は瓢
箪の専門店・瓢泉堂さんになっています。店舗の脇にあるのが矢倉道標。東海道をゆく旅人を
「矢橋の渡し」に案内する道標です。「瀬田へ廻ろか 矢橋へ下ろか ここが思案の乳母が餅
(うばがもち)」と詠まれ、対岸の大津まで「矢橋の渡し」から舟で琵琶湖を渡るか、東海道を
進んで瀬田橋まわりで行くか、当時の旅人はうばがもちを食べながら思案しました。舟の方が
近道ですが、湖が荒れたり、風待ちをしたりするため、遠回りでも瀬田橋からのほうが確実だ
ということで、矢倉道標は「急がば回れ」の語源になった場所だと言われています。
萩の玉川
萩の玉川は、多くの歴史を秘めて日本六玉川のひとつとして有名となった場所です。都から公家、
貴族、詩人などがこの地を愛でて、多くの詩が詠まれました。中でも源俊頼の詩は名歌として、
現在に伝えられています。「あすもこん 野路の玉川は聞こえて 色なる浪に 月やどりけり」
意味:明日も来ようよ。野路の玉川に。萩(はぎ)を越えて寄せる波に、花の色が映り、その波に
月の光が宿っていることよ。
建部大社
祭神は日本武尊。平安時代末、源頼朝が平家に捕らえられ、伊豆に流される途中、建部大社に
立ち寄り源氏再興の祈願をしたところ見事にその願が叶って以来、武運来運の神として信仰を
集めました。社宝は日本武尊の妃と伝わる木造女神像。鎌倉時代につくられた石灯籠とともに
国の重要文化財に指定されています。
瀬田の唐橋
東から京都へ向かうには瀬田川か琵琶湖を渡るしかなく、瀬田川にかかる唯一の橋であった
瀬田の唐橋は京都防衛上の重要地でした。そのため、「唐橋を制する者は、天下を制す」と
言われ、壬申の乱や 治承・寿永の乱など数多くの合戦の舞台となりました。京都の宇治橋、
山崎橋とならぶ日本三大橋のひとつに数えられ、その美しい景観は歌川広重によって描かれ
た「瀬田の夕照」で広く知られています。
石山寺
山の中の大きな石の上に本堂が建っていることが名前の由来となっている石山寺。平安時代
には宮中の女性たちの間で「石山詣で」が流行し、清少納言や和泉式部が作中に描いたほど。
紫式部が源氏物語を書き始めたと場所だとも言われています。千年以上も人々を惹きつけて
きた景勝地というだけあって、素晴らしい景色に圧倒されてしまいました!