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【第3話】坂本龍馬の足跡をたどり、足跡を食べる!?

第三話は品川宿の続きから!

旧東海道筋にある町・立会川は、坂本竜馬ゆかりの地。黒船が来航した幕末の動乱期に、竜馬はここでどんな明日を思い描いたのだろうか…案内人ゆぴが、江戸遊学に来ていた若き日の龍馬の足跡をたどり、足跡を食べて?! 竜馬が人生を変えた場所を訪ねます!再びハプニング(笑)に見舞われながらも江戸をあとに多摩川を越えて、旅の舞台は神奈川へ!

土佐藩下屋敷

現在の品川区立浜川中学校を中心とする地域には、かつて土佐藩下屋敷がありました。じつは、私が行ったときは見つけられなかったのですが、後日なこちゃんが撮影してきてくれました。 あ~ここにあったんですね。

激動の幕開け-黒船来航

1853年 龍馬が土佐藩から江戸遊学に来た直後のこと。ペリー提督率いる米艦隊が浦賀沖に来航し、威圧的に開国を迫った。対する江戸幕府は、品川宿立会川の海辺に大砲8門を備える砲台を整備し、異国船の襲来に備えたのである。臨時招集によって品川の土佐藩下屋敷を守護する任務に就いた龍馬は、家族への手紙にこう綴っている。
「戦になったら異国人の首を打ち取って帰国します」
後に開国派として多くの外国人と交した龍馬も、当時は攘夷に燃えていたのだろう。やがて品川沖まで侵入した巨大な外国船を目の当たりにし、剣術のみでは外国と戦えないと考えた龍馬は、砲術を習うべく
剣術修行の傍ら軍学家・思想家である佐久間象山の私塾に入学したのである。

鈴ヶ森刑場

鈴ヶ森刑場ができたのは慶安4年、1651年。当時、浪人による犯罪が急増していたことから、江戸の入り口とも言えるこの場所に刑場を設置し、見せしめによる犯罪抑止効果を狙ったのだと考えられています。明治4年に閉鎖されるまでの220年の間に、なんと10万人から20万人もの罪人が処刑されたと言われています。

しながわ水族館

しながわ水族館は、品川が昔から海や川にゆかりがあることから、1991年に水辺とのふれあいをテーマにオープンした人気スポットなんです。トンネル水槽や、ふれあい水槽など、魚たちと一体になって、まるで海の世界にいるような体験ができるそうです。イルカやアシカのショーも楽しそう! この日は時間が遅くて閉館してしまっていたので、今度ゆっくり遊びにこよっ!

梅屋敷

京浜急行「蒲田駅」。東海道と交差するこの辺りに、かつて箱根駅伝の名物 “開かずの踏切”がありました。運悪く遮断機が下りると、ランナーは何分間も足止めされ、レースに数々のドラマを生み出しました。

六郷神社

六郷神社は、平安時代後期、源頼義・義家父子が、奥州へ戦に向かう際、この地にあった大杉に源氏の白旗を掲げて軍勢を募り、源氏の氏神である八幡神に戦勝祈願をしました。すると軍の士気が大いに高まり、見事に勝利。凱旋後、この八幡宮を創建したとされています。

六郷の渡し跡

渡しとは、舟で川を渡ること。橋が無い川では、道をつなぐ「渡し」が重要な役割を担っていました。
ここ、六郷には、1600年、徳川家康によって六郷大橋が架けられました。しかし、洪水によって幾度も崩壊し、後(のち)に江戸幕府が大きな川に橋を架けることを制限したので、この六郷の渡しが設けられたのです。幕末に奔走した坂本龍馬も、きっと利用したことでしょう。