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【第25話】五十三次中間突破ッ!掛川城&さわやか堪能!

第25話は、掛川宿からどまんなかの袋井宿へ!

今回は、東海の名城がそびえる掛川宿からスタート!
NHK大河ドラマ「功名が辻」の主人公にも描かれた山内一豊が城主となった掛川城へ!
街を一望する本丸だけじゃなく、貴重な二の丸も現存しているからグッと深まる城巡り!
掛川から土佐へ移った山内家、実は龍馬との深い因縁があったのだそう…
土佐藩士を幕末維新へと突き動かしたものは、何だったのか?

そして、静岡といえばみんな大好き「炭焼きレストラン さわやか」のげんこつハンバーグ!
スタミナを取り戻したゆぴご一行は、満を持して東海道どまん中の宿場 袋井宿へ!
ようやく東海道の中間地点!
京都を目指して、まだまだ歩くゆぴを応援してくださいっ!!

掛川宿

江戸から数えて26番目の宿場。静岡県掛川市の中心部であり、
山内一豊が改修して住んだ掛川城の城下町として知られています。
歌川広重の「東海道五十三次」には、秋葉街道が分岐する大池橋
より仰いだ秋葉山と参詣者の姿が描かれています。

山内一豊

幕末に、武市半平太や坂本龍馬らの土佐勤王党との軋轢があった
土佐藩主、山内容堂の直系の藩祖。掛川城主であった山内一豊は、
関ヶ原の戦いで功をあげ、土佐に移封され、掛川時代の家臣を引
き連れて土佐入りすることになる。
以来、掛川以前からの家臣を上士、前領主の長宗我部の家臣ら、
土着の武士を郷士とする厳しい階級社会が幕末まで続く。これが
土佐藩上士と土佐勤王党の軋轢を生み、やがて山内容堂による
土佐勤王党の弾圧へと繋がって行くのである。そういう意味では
掛川城主山内一豊と坂本龍馬は、間接的ながら浅からぬ因縁があ
るといえよう。

掛川城

“東海の名城”とうたわれた美しさの掛川城。戦国時代、遠江国の
支配拠点として今川氏により築かれましたが、豊臣秀吉の支配に
なると、山内一豊が城主となりました。遠江の歴史とともにあった
掛川城は、江戸時代末期の大地震で損壊したまま廃城となりました。
その後、140年の歳月を経て、日本初の木造復元天守閣が再建され
今日に至っています。

二の丸御殿

掛川城御殿は二の丸に建てられた江戸時代後期の建物で、現存する
城郭御殿では、京都二条城など全国で4箇所しかない貴重な建築物。
遠い昔に大名がここで暮らしていたかと思うとワクワクしますね。

掛川ステンドグラス美術館

国内初の公立ステンドグラス美術館です。ステンドグラス工房が最
盛期を迎えた19世紀ヴィクトリア朝時代の作品を中心にコレクショ
ンされています。

松ヶ岡 旧山崎家住宅

江戸時代後期、掛川藩御用商人として名を馳せた山崎家の屋敷は、
まるで松の丘のように繁っていました。このことから松ヶ岡と呼ば
れ、明治天皇の行在所としても使用されるほどの格式を誇りました。
山崎家は、当時武士のみが受けていた教育を商人などに広め「生涯
教育」を日本で初めて掲げました。県下屈指の富豪となったあとも
私利私欲のためでなく、地域の金融、財政基盤の整備や都市交通な
ど近代化に貢献しました。

十九首塚公園

天慶の乱の際、藤原秀郷の一行に滅ぼされた平将門と18人の武将
の首が埋葬されていると言われている場所です。現在は、町の守り
神として祀られ、供養祭も行われています。

袋井宿

江戸から数えても京から数えても27番目の真ん中の宿場。東西の
人々が行き交い、文化が交差する宿場町でした。周囲には歴史ある
寺や神社が点在し、門前町のような様相をていしていました。