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【第34話】家康の聖地!チョ~貴重な歴史遺産!

第34話は、藤川宿! 家康から閻魔大王までチョ~貴重な歴史遺産巡り!

今回は愛知県岡崎市の東に位置する藤川宿を巡ります
岡崎と言えば、そう、徳川家康の生誕地!
天下統一を果たす前の家康は、幾度も絶体絶命の危機を経験しますが
ここ藤川宿には、家康を救った2つのパワースポットがありました!
歌川広重の浮世絵をもとに復元された「棒鼻跡」
閻魔大王など冥土で裁きを下す10人の王を祀った「十王堂」
江戸時代に天然痘の予防接種を行った蘭方医の邸宅跡など
今回も見どころ満載! 家康LOVEのゆぴが
家康ゆかりの地をハイテンションでご案内します!

宇都野龍碩邸跡と長屋門

宇都野龍碩(うつの りゅうせき)は、江戸時代後期の蘭方医。当時としては
画期的だった種痘(天然痘の予防接種)を施した医者でした。邸宅はもうあ
りませんが、長屋門が残っています。

山中八幡宮

大きな常夜灯と赤い鳥居が印象的な山中八幡宮は、徳川家康の父・松平広忠が
再興したと言われ、家康が初陣の際に必勝祈願した神社です。境内には、三河
一向一揆の際、追われた家康が身を隠して難を逃れた洞窟、鳩ヶ窟(はとがくつ)
があります。

藤川宿 東棒鼻跡

歌川広重が描いた藤川「棒鼻ノ図」が平成元年に復元されました。「棒鼻」とは
宿場の出入り口のこと。ここから藤川宿に入ります。

藤川宿

江戸から数えて37番目の藤川宿は、増大する東海道の交通量に対応するために、
近隣の山中郷から住民を移して成立させた宿場町です。小規模ながら、三河湾
へいたる塩の道「吉良街道」に通じる交通の要衝として賑わっていました。

明星院

本尊は「片目の不動尊」と呼ばれ、徳川家康の伝説が語り継がれています。
ときは永禄五年(1562年)、若き徳川家康は、今川方の武将と扇子山で激突しま
すが、総崩れとなり、敗走する徳川方に一斉に矢が放たれました。そのとき、
家康に放たれた矢を見知らぬ武士が身代わりになって受け止め、片目を潰し姿
を消しました。後日、家康が明星院を訪れた際、祀られていた不動尊の姿形が
あの時の武士にそっくりで、片目が潰れているのを見て、不動尊の化身に助け
られたと悟り、深く感謝したと伝えられています。

藤川宿資料館

もとは脇本陣があった場所でした。門は江戸時代のもので、脇本陣として栄え
た当時の様子がうかがえます。館内には当時の藤川宿の町並みを再現した街道
模型や藤川宿に関する歴史資料などが展示されています。

芭蕉句碑 岡崎十王堂

十王堂には、閻魔大王を筆頭とする、冥土で死者の罪を裁く10人の王が祀ら
れています。
お堂の右手には芭蕉の句碑も・・・「ここも三河 むらさき麦の かきつばた」
この地の名物・むらさき麦を詠んだものです。

吉良道道標

吉良道との分岐点に道標が立てられています。吉良とは、あの忠臣蔵で有名な
「吉良上野介」の領地だった場所です。江戸時代この道を通って大名行列や、
茶壺道中、海産物や塩が運び込まれてきた重要な街道でした。