【第15話】 カエルのおかげで海の幸を堪能in沼津
第15話は、沼津宿からスタート!
伊豆半島の玄関口である沼津の城跡を巡り、沼津港を満喫!
実は城下町だった沼津には、石垣が今も残っていました。
さらに進むと…
二柱の神様が一緒に祀られる「一扉二社」の珍しい神社や、
かつて万能薬が大人気だったお寺など、マニアックな街に興味津々!
海の幸を求めて沼津港へ行くと…
“深海”水族館や巨大水門など、わくわくするような施設が盛りだくさん!
そして、文人・歌人に愛された千本松原の
古き良き日本風景に思いを馳せます。
さあ!次なる宿場、原宿へどんどん歩きます!
山紫水明の眺め 沼津城
江戸時代中期、徳川家 将軍より領地を与えられた水野忠友が築城しました。この城からは、北に富士山を、南に駿河湾を望む美しい眺めだったそう。それ以前より港町から宿場町へと発展した沼津でしたが、城が築かれたことで城下町として一層、商業都市の色合いが濃くなりました。
沼津宿
城下町として栄えた町だった沼津は、伊豆地方の物産を江戸に輸送する港としても重要な役割を果たしました。その後、時代とともに宿場町の面影は薄れてしまいましたが、今でも沼津は静岡の東部における中心都市になっています。
神社に二つの名前?! 丸子・浅間神社
ここ丸子・浅間神社は、神社名も紋も2つある珍しい神社。これは一扉二社といい、浅間神社の神様と丸子神社の神様が一緒に祀られているというのです。特に浅間神社は、江戸時代から厚く信仰され、参勤交代の際には大名もお参りしていました。今でも初詣や夏祭りなどで地元の人々に親しまれています。
まるで薬局のよう?! 東方寺
臨済宗 東方寺では、江戸時代から昭和時代まで「清明丹東方寺目薬」という漢方薬が売られていました。地域の人だけでなく、東海道を往来する人々も買い求めたことでしょう。もしかすると、あの龍馬も使ったのかもしれませんね。
乗運寺
京都 知恩院の末寺である乗運寺は、このあたりの城主の菩提所として由緒あるお寺です。境内には、千本松原をこよなく愛し、この地で没した歌人・若山牧水の墓もあります。
自然主義文学者 若山牧水
明治時代、宮崎県に生まれた若山牧水は、少年期より短歌・俳句に親しんでいた。大学を卒業した後、処女歌集『海の声』を出版し、歌人の道へと進む。特に鉄道旅行と自然をこよなく愛していた彼は、千本松原や富士山の景観に魅せられ、家族とともに沼津に移住したのである。その後も生涯にわたって津々浦々を旅し、自然主義文学者として優れた作品を世に残していった。
廃線路を歩く 蛇松緑道
かつては沼津駅と沼津港を結ぶ国鉄の線路がここを通っていました。しかし赤字になり廃線されたあと、緑道としてきれいに整備され、緑溢れるみんなの憩いの場に生まれ変わりました。
海の幸が勢揃い! 港三十八番地
最近できた名所 港三十八番地。駿河湾の海の幸を味わえるお店がズラッと並んでいます!朝市や夏祭りも開かれるなど交流の場としても親しまれているそう!“地元に馴染むように”と願いを込めて、住所がそのまま名前になっています。
沼津大型展望水門 びゅうお
ひと際大きく見えるのが、展望台を備えた水門です!津波対策として作られた巨大な水門は、なんと幅40m、高さ9.3m。地上30mの展望台から見えるパノラマからは、富士山や箱根の山々、駿河湾を行き来する船を一望できるランドマークです。最近よく言われている南海トラフ地震がくるときには、きっと活躍してくれることでしょうが、そんな地震が起きないことを願うばかりですね。
文学家に愛された千本松原
日本百景や日本の白砂青松100選にも名を連ねる「千本松原」。戦国時代、荒廃してしまった土地に、増誉上人が何年もの歳月をかけて松を植えたことで完成しました。防風林を兼ねた「千本松原」は、風光明媚な景勝地として知られるようになり、歌人 若山牧水や、作家 井上靖なども愛したそう。今でもこの松原からは富士山に沈む美しい夕日を見ることができます。
原宿
東海道五十三次の13番目の宿場 原宿は、現在の静岡県沼津市の西に位置しています。平安末期に源義経が騎馬を集めてその優劣を競わせる武家の行事「馬揃え」を行ったことで知られていますが、宿場としては最も小さい宿場のひとつだったそう。